Partager

6 白パンと燻し肉

Auteur: さんけい
last update Date de publication: 2026-10-17 16:43:19

 その夜、フェルナンは戻りが遅かった。

 戻った時、アエリアの家で夕食を取ってきたのだと言った。

 食事と言っても、彼が持っていった白パンと燻し肉を少し分けただけだと。

「白パンと燻し肉」

 パルマは聞き返した。

「台所から、客用のものが少し残っていたから」

「客用の燻し肉は、明日の商会主との昼食に使います」

「少しだよ」

「少しずつ? 積み重なれば足りなくなりますよ」

 フェルナンは疲れたように椅子へ座った。

「……君は本当に、全部数えるんだな」

「当然でしょう」

 パルマは答えた。

「数えないと、足りなくなった時に誰が困るか分からなくなりますから」

 フェルナンは妻の言葉に、返事ができなかった。

 *

 翌朝、ジョバンニがいなくなったという報告が入った。

 果樹園の者が、南端の家へ呼びに行ったが、戻ってきた時、門の前で帽子を脱いで言いにくそうにした。

「セルデスさんが、いません」

 パルマは、その時ちょうど市場へ出す梨の数を確認していた。梨は桃より涼しい香りがする。包丁を入れると水がしっとりと出る。

「アエリアさんは?」

「家にいます。泣いていて、話にならないと」

「フェルナンは
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Dernier chapitre

  • 夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません   17 次の収穫

     離縁は、秋の初めに成立した。夏祭りから、既にひと月半ほど経った頃だった。 フェルナンは実家へ戻ったまま、エルデート領へ来ることはなかった。 離縁状には彼の署名と、実家の兄の署名が添えられていた。子供たちとの面会については、当面、パルマの許可と乳母の同席を条件とする、と決められた。 カティはにその話をしたが、ふうん、という顔のまま、問いかけてきた。「お父様、遠く?」「ええ。お父様のご実家にいます」「ごはんの時、来ない?」「来ません」「ほんと?」「本当です」 カティは少し考えてから、ロンベルトの皿へ葡萄を一粒置いた。「じゃあ、ロン、食べていいよ」 ロンはそれをつまみ、薄い皮を歯で破った。甘い果汁が口に広がったのか、目を丸くして、もう一粒と手を伸ばす。 カティは笑った。 その笑い声が食堂に戻ってきた時、パルマはようやく、ひとつ息をついた。 屋敷は静かになった。けれど、暗くはなかった。 倉の鍵は元の数に戻り、台所の出入りはしばらく記録が続けられた。 領民の家から持ち出された梨や薪や蜂蜜漬けについては、ラグラス家から弁済が届いた。フェルナンの実家からも、彼が促した分について別に謝罪と金が送られてきた。 * 女たちは、最初のうちこそ怒っていた。「うちの梨、ほんとに腹が立ちましたよ」「蜂蜜漬けなんて、嫁が産後に食べる分だったんですから」「花くらい、ですって。花を干す手間を知らないから、そんなことが言えるんですよ」 台所や乾燥小屋でそう言い合っていたが、金が戻り、パルマが一軒ずつ詫びと説明を入れると、怒りは少しずつ畑や市場の忙しさに溶けていった。 よい季節は、人を待たない。桃の次は、葡萄が来る。 その葡萄が本格的に色づき始めた頃、リクローデから厚い手紙が届いた。 差出人は、ラグラス家のメリーナだった。 封を切ると、桃の花を押した小さな紙片が一枚、挟まれていた。香りはほとんど残っていない。ただ、薄く乾いた花びらの形だけが、丁寧に残されている。 パルマは窓辺の机で、手紙を広げた。 *** エルデート子爵夫人パルマ様 先日は、娘アエリアの件で大変なご迷惑をおかけいたしました。 改めて、ラグラス家より深くお詫び申し上げます。 お約束した弁済金は、第一便としてお送りいたしました。 残りについては、ジョバンニの借り分、娘が

  • 夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません   16 出て行く者

    「母上……!」「実家へ戻りなさい。パルマ様の家に、今のあなたを置いていただくわけにはいきません」「でも、僕は」「まだ夫のつもりでいるのですか!」 その言葉に、フェルナンは黙った。フェルナンの兄が、引き取るように言う。「離縁の手続きに入る。それはこちらで預かる。お前が勝手に戻らないよう、俺が見る」「兄上、そんな……」「お前はそこまでのことをしたんだ」 兄の声は地を這うように低い。「お前は女にうつつを抜かしただけではないんだ。家の物を流し、領民の家も巻き込んだ。それに子供を傷つけた。これで、まだ自分が屋敷に残れると思っているなら、昨日までのことの意味が何も分かっていない」 フェルナンは、両手で顔を覆う。その仕草に、パルマは少し前なら胸を痛めたかもしれない。 だが今の彼女は泣く彼を見て、何かを差し出す人間でいる余裕はない。「子供たちには……」 フェルナンが、手の中から声を出した。「カティとロンには、会わせてもらえるだろうか?」 応接室の扉の向こうで、遠くカティの声がする。乳母に何か読んでもらっているのだろう。昨日より少し明るい声だった。「当面は認めません」 フェルナンが顔を上げた。「パルマ」「カティは昨日、あなたに嘘つきという意味のことを言われました。ロンは、アエリアさんを見ると乳母に隠れました。あなたはその二人の前で、何をどう謝るのか、まだ分かっていません」「……分かっている!」「いいえ」 パルマは首を振った。「今のあなたは、謝って自分自身が許されたいだけです」 フェルナンは言葉を失った。「子供たちに会う話は、離婚の手続きが進み、あなたが実家で落ち着いてからです。乳母と私が同席し、短い時間から始めるかどうかを決めます」「僕は、父親なのに……」 フェルナンの呟きは、ほとんど子供のようだった。「昨日、父親でいなかったからです」 パルマの言葉に、フェルナンの母が、目を閉じた。 兄嫁がそっと彼女の背に手を添える。フェルナンの兄は、もう弟を見ていなかった。卓の上の鍵の束を見ていた。 鍵は、返された。しかし返されたからといって、開けてしまったものが元に戻るわけではない。「荷物は、今日中にまとめさせます」 パルマは続けた。「私物だけです。書類、帳面、印章、領地に関わるものは持ち出せません。あなたの衣服、本、身の回り

  • 夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません   15 返された鍵

     翌朝、花飾りは外された。 広場に残っていた薄紅の花は、夜露を吸って重くなっていた。まだ香るものは乾燥小屋へ回し、傷んだものは畑へ戻す。 祭りの翌日は、いつも少し静かだ。子供たちの笑い声も、昨日ほどは聞こえない。 カティは乳母と一緒に、奥の部屋で絵本を見ていた。ロンベルトは朝食の途中で眠くなり、そのまま乳母の膝でうとうとしている。 フェルナンは、朝食のテーブルには来なかった。来られなかったのだろう。 パルマは、いつも通り朝の帳面を開く。 祭りに使った桃、戻した皿、割れた杯、余った花、配り終えた干し葡萄。ひとつずつ線を引く。 昨日、アエリアが強く握った桃も、祭り用の箱からは外してあった。 皮に指の跡がついたものは、子供たちの皿にも、客の皿にも載せない。市場にも出せない。けれど、捨てるほど傷んでいるわけではない。「その桃は、傷のついたところを落として、台所で食べてちょうだい」 朝のうちに、パルマは台所頭へそう命じた。「カティとロンには、別の桃を」「はい、奥様」 台所頭は、それで十分に分かった顔をした。 果物は、同じように見えても行き先が違う。客へ出すもの。子供へ出すもの。市場へ出すもの。賄いに回すもの。傷のところを薄く落として、その場で食べるもの。 傷がついたものを、傷のないものと同じ箱へ戻してはいけない。 けれど、食べられるものまで捨てる必要もない。終わったものは、終わったものとして閉じる。使えるものは、使える形へ回す。 それが済んでから、パルマは応接室へ向かった。 * 部屋にはすでに親族が揃っていた。 パルマの母は、窓に近い椅子へ座り、母方の叔父は、扉近くに立っていた。 フェルナンの母と兄夫婦は、向かいの席に並んでいる。 そしてフェルナンは、ひとりだけ少し離れた椅子に腰を下ろしていた。 昨日より顔色が悪い。眠れなかったのだろう。上着も着ているが、袖口のボタンがひとつ外れたままだった。「お待たせしました」 パルマがそう言って席につくと、叔父が短く頷いた。「それでは始めよう」 フェルナンが顔を上げた。「パルマ、その前に」「話は伺います。ただし、順に」 パルマは卓上へ小さな束を置いた。昨日、フェルナンが返した鍵である。 倉、台所、保存室、書庫、冷えた部屋。小さな札がそれぞれにつけられている。五年の間に、夫婦と

  • 夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません   14 見ていた者たち

     その年の祭りには、親族も来ていた。 パルマの母と母方の叔父。隣領へ嫁いだ従姉。フェルナンの実家からは、兄夫婦と年老いた母が来ていた。 例年なら、祭りの席は賑やかに終わる。 広場で桃を配り、花飾りを見て、子供たちが走り回り、夕方には屋敷で軽い食事を取る。親族はそこで、今年の実りや子供たちの成長を笑い合って帰る。 だが、今年は違った。 ラグラス家の馬車が去ったあと、広場にはしばらく妙な静けさが残った。 男たちは片づけの手を動かしながら、時々顔を見合わせる。 さっきまで自分たちが「可哀想な奥様」だと思っていた女が、馬車の中から悪態を吐き散らして帰っていったのだ。何を言えばよいか分からない顔をしている。 女たちは、分かっている顔をしていた。「だから言ったでしょう」 乾燥小屋の女が小さく言った。「泣く人が、いつも弱いとは限らないのよ」 それを聞いていたフェルナンの兄嫁が、黙って頷いた。 彼女は祭りの途中から来ていた。幼い甥と姪に菓子を渡そうとして、倉の騒ぎを少し見た。その後、広場でアエリアの悪態を聞いた。 フェルナンの兄は、弟のそばへは来ない。今行けば、殴るかもしれないと思ったのだろう。 パルマの母は、カティのそばにいた。 先代子爵夫人である彼女は、もう領地の実務から退いている。だが、花と果物の家で何が大事かは、誰よりも知っていた。「カティ」 母が呼ぶと、カティは桃の皿を持ったまま顔を上げた。「怖かったでしょう?」「ちょっと」「ロンは?」「こわかった。アエリアさん、チッってしたから」「そう……」 母は、それ以上かわいそうとは言わなかった。代わりに、カティの皿を見た。「その桃はおいしい?」「おいしい」「なら、よかった。カティの桃だものね」 カティは強く頷いた。「ロンのもある」「ええ。ロンのも」 その会話を、少し離れた場所でフェルナンの母が聞いていた。 彼女は白髪の多い女だった。病弱ではないが、年相応に動きはゆっくりしている。普段は穏やかで、息子を責めるようなことをあまり言わない。 その母が、フェルナンの前に立った。「フェルナン」 フェルナンは、はっとしたように顔を上げた。「は、母上……」「あなた、あの子に謝らせようとしたのですってね」 フェルナンの顔が強ばる。「それは…… 聞き間違いで人を」「聞

  • 夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません   13 要するに、こういうことだ

     広場が一気に静かになる。 子供たちは乳母や母親に抱き寄せられた。 ロンはパルマのスカートを握っている。カティは唇を噛み、アエリアを見ていた。 叔父のバルトが、ため息をついた。「はあ…… まあ、要するに、こういうことなんですよ」 その言い方は、あまりにも慣れていた。「ま、長くは持ちません。泣く席を取り上げると、すぐこうなる」 メリーナが頷いた。「エルデートの奥様、娘がご迷惑をおかけしました」「ええ、迷惑は充分受けました」 パルマは大きく息を吐く。「ですが、こうして迎えに来てくださったことには、本当に感謝します」「ええ、今後の補償も、話し合いましょう。あれが持ち出したもの、食べたもの、仕事を止めた分、こちらで分かる限り弁済いたします」 ガスパルが言うと、アエリアがまた叫んだ。「私を売る気なのね! 金で! 娘を金で!」「お前が食べた分の話だ」 バルトはひどく淡々と言う。「食べたなら払う。持っていったなら返す。家の子供でも同じだ」「私は子供じゃないわ! 子供扱いする気!?」「では、なおさらだ」 その瞬間、アエリアは叔父へ飛びかかろうとした。だがその前に、兄のルシアンとバルトが動いた。彼らは迷いがない。アエリアの両腕を押さえ、暴れる足をかわし、持ってきていた布紐で手首を縛った。 フェルナンが思わず声を出した。「あ、あの…… 乱暴では」 ふー、ふー、とアエリアは息を荒げている。バルトは彼を見て苦笑する。「では、あなたが馬車まで運んでくださいますか?」 フェルナンは黙った。「ああもう、あなた、本当に役立たず!」 裏返るアエリアの声に、フェルナンの肩ががくんと落ちる。「ほら行くぞ。さっさと歩け」「離して! 触らないで! 薄汚い手で! こんな果物臭い場所、こっちから願い下げよ。皆、馬鹿みたいに桃なんかありがたがって。私に出すならもっと良いものを出しなさいよ!」 桃を配られていた子供のひとりが、皿を胸に抱え、その母親が、子供の耳を片手でふさぐ。 メリーナの表情が、そこで初めて辛そうにものになった。「……本当に、申し訳ありません」「謝罪はあとで伺います」 パルマは答えた。「今は、あの人を馬車へ。その予定だったのでしょう?」 その通りに、アエリアは馬車に押し込まれた。すぐに、内側から大きく扉を叩く音がする。「開け

  • 夫に捨てられた可哀想な奥様に、娘の桃まで譲るつもりはありません   12 遠方より来る人たち

     パルマはその日、そのまま仕事を続けた。祭りの前日なのだ。 桃の箱を移し、菓子に回す干し葡萄を数え直し、広場へ飾る花の束を確認しなければならない。 南端の家の女ひとりに、領地の祭りを止めさせるつもりはなかった。 だが、念のため、控えの部屋には、侍女を二人置いた。 ひとりは台所頭の妹で、夫と息子を南端の家に引きずられかけた女だった。もうひとりは、乾燥小屋の女たちをまとめる古参である。 どちらも、泣く女の顔だけで物を渡すような性分ではない。「奥様、本当にこのままでよろしいのですか」 台所頭の妹が、扉の前でパルマに尋ねた。「というと? 何かあったの?」「泣いております。ずっと」「水は?」「お出ししました」「食事は?」「賄いと同じものを。豆の煮たものと、普通のパンと、薄いスープです」「そう。食べましたか?」「パンを少しだけ。スープは匂いが強いと」「そのままでいいわ。そう選んでるのだから」 侍女は頷いた。扉の向こうから、かすれた声が聞こえる。「こんな椅子では、座っていられませんわ…… 背が、腰が痛くて」「では、立っていても構いません」 古参の女が、扉の内側から答えた。「水がぬるい……」「井戸水です。皆それを飲みます」「せめて、香りのよいお茶を……」「奥様のご指示がありません」「私、客として来たのに……」「客ではないと、先ほど奥様がおっしゃいました」 そこまで聞いて、パルマはふう、と息を吐く。扉の前に立つ必要はない。アエリアが何を言うかは、もう大体分かる。 よい椅子。よい茶。よいパン。そばに居てくれる誰か。そして「お客様扱い」。 だがそのどれも、今日は出ない。出すつもりもない。「何かあれば呼んで」「はい、奥様」 パルマが廊下を戻ると、フェルナンが待っていた。倉からこちらへ来る間に、何度か使用人に止められたのだろう。顔に苛立ちが浮いている。「アエリアさんに会わせてくれ」「会わせません」「なぜだ」「あなたが会うと、話が進まないじゃないですか」 フェルナンは目を見開いた。「彼女は今、怯えているんだ!」「怯えているなら、なおさら余計な約束などしない人間がそばにいるべきです」「余計な約束?」「『リクローデへ戻さない。僕が何とかする。君は何もしなくていい』。そういう約束です」 フェルナンは言葉に詰まる。言

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status